12月21日(金曜日) 亡き樺山先生の無念
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 昨年の7月1日にご逝去された(享年63歳)樺山卓司(かばやまたかし)先生はとても優しい方で、所属されていた自民党だけでなく、他会派の都議会議員や都庁関係者からも広く慕われていました。私も数多くの先輩、同僚議員とお付き合いをいただいていますが、天国に行かれた今でも、もっとも尊敬させていただいているお一人です。
 写真は一昨年の10月から11月にかけて台湾(中華民国)を訪問したときの様子です。左は台北市議会議事堂のエントランスで、右は国父(孫文)記念館で撮りました。記念館の写真は献花するところですが、私が訪問団の横で司会を務めています。
 実はそのときの訪問団は、2泊3日限りの民主党と自民党の合同の「日台友好議員連盟」(それぞれの会派には日台友好議員連盟があります)で、樺山先生先生が団長、私が事務局長でした。
 そして、全般的には良好な日程でしたが、二つの会派がいっしょに行動するわけですから、若干の問題もあったことも事実です。そんなとき、樺山先生はいつも、「門脇君、すまないね」とねぎらいの言葉を掛けていただきました。温かい心をお持ちの方とあらためて感じました。
 さて数日前、自宅に「樺山たかし先生を偲ぶ」とだけ封筒の裏に書かれた郵便が届きました。住所などの連絡先は書かれていませんでした。初めは文字通り、先生を偲ぶ集まりの案内のかなと思いましたが、開封してみると、ご祝儀袋の裏表に書かれた先生の遺書でした。
 もちろん、この遺書の真贋は定かではありませんが、少なくない方々にお聞きすると、そのすべての方々は「本物でしょう」と言われました。その中のお一人は、この遺書が発見された経過やその後の取り扱いについても詳しく教えてくれました。しかし、それでも、そのことを証明できることはできません。
 ですから、その具体的内容を書くことは避けますが、樺山先生の無念のお気持ちを痛いほど感じました。ある政党の東京都組織の最高責任者の一人の名前があり、彼に対して来世で必ず報復すると記載されていました。
 また、奥様のことについて、「私には出来すぎた女房でした。ほんとうにありがとう。来世でも必ず、必ず逢おうね。それを信じて逝きます」と最後に書かれていました。
 繰り返しますが、私はこの遺書が本物だという確証はありません。しかし、同時にそうでないとも思いないのです。樺山先生、無念だったでしょうね。合掌。