今更ながら「報道しない自由」を知る

 衆議院と参議院の閉会中予算委員会での新しい事実は前川喜平さんが和泉洋人首相補佐官と会った日時がなぜか次々と変わったくらいで、まったく進展はありませんでした。これからも、与党は「これ以上やっても時間のムダ」、野党は「さらに疑惑が深まった」としばらくは続くのでしょうが、一段と高い笑い声が中国と北朝鮮から聞こえてきます。そう言えば、森友のときも同じような流れでした。
 ただ、安倍晋三総理大臣の答弁姿勢が改善したことは良かったです。国民から直接選ばれた首相ではありませんが、その国民・有権者は特に彼が好きで、優れていると思っているわけではなく、「ほかの政党、ほかの政治家よりまし」という理由で評価してきたのでしょう。ですから、これだけの敵失が続いても、残念ながら、野党第一党の支持率は上がらないどころか、さらに低くなっているのですから深刻です。
 一方、与党を追い詰めない野党に存在意義はありませんが、プラカードがやっとなくなったと思ったら、今度は委員会で一斉に、「へえっー!」と声を合わせてわざとらしく驚いていました。国対筋の指令なのでしょうが、呆れ返って物が言えないとはこのことですね。これでは、安倍さんの品のないヤジと五十歩百歩です。
 さて、この年になって、30年間も地方議員を務めさせていただいて、皆さんよりかなり多くの記者の方々とお付き合いをさせてもらって、とても恥ずかしく、情けない気持ちになっています。それは最近の一連の報道を見て、聞いていて初めて、新聞やテレビの世界には「報道しない自由」があることを知ったからです。これも「報道の自由」のカテゴリーに入っているようでから、当事者の皆さんは大切にしているのでしょう。
 でも、「報道できない」ではありません。新聞やテレビの記者が取材で知り得たことでも、様々な理由で伝えられないことは数多くあるでしょう。私でも星の数ほどではありませんが、都庁第一庁舎の階数くらいは墓場まで持っていかなければならないことはあります。
 そうではなく、特定の権力者を倒すために、その人の立場を有利にする不都合な内容は報道しないということです。私は現在の政権政党や行政の責任者が憎くて、憎くて仕方なく、バンバン攻撃する姿勢は“あり”と考えていますが、叩く材料以外の発言があった場合、それも合わせて書く、話すことを省略してはいけないでしょう。
 特にわが国の報道機関に対して、公平性とか中立性を求めてはいけませんが、あまりに偏った記事ばかり載せているのは良くありません。確かに昔だったらとぼけることも可能でしたが、現在ではネットですぐにばれてしまいます。マスメディアとネットメディアを単純に比べても意味はありませんが、ここのところを軽んじていると、新聞社や放送局などの既存メディアは購読部数や視聴率を含めて信頼を失うでしょう。麻生政権を実質的に倒閣に追い込んだ時代とは違うのです。
 それにしても、あの籠池泰典さんが国会で証人喚問されたとき、「立派な態度だった」、「正直な対応は素晴らしかった」と言っていた人は今、稀有な詐欺師に過ぎなかった彼をどのように思っているのでしょうか。皮肉や嫌味は慎まなければいけませんが、籠池さんを挟んで4野党の責任者が写っている写真をどのように振り返っているのでしょうか。一度、聞いてみたいと思っていますし、二人目の籠池泰典さんになる方がすでにいるのかもしれません。
(写真出典・建物3枚:Wikimedia Commons)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です