言動への動機づけがとても良好です


私はとても情けないのですが、以前は「多少、景気が悪くなっても、財政を健全にするためには、消費税を上げるのは当然のこと」と思っていました。しかし、今ではほぼ正反対に転向して、「財政とは経済成長のこと」と改心しました。余談ですが、今となってみると赤面するような恥ずかしい記事も過去のブログやフェイスブックにもあるのですが、自分の間違いにお灸をすえるためにも削除などはしていません。

例えば、福島第一原発事故のときに、朝日新聞が「吉田所長が作業員に逃げろと指示した」と書きました。現在ではこれがまったくの嘘だったことを朝日自身も認めて、謝罪みたいなこともしましたが、私は過去から、「もしも、原発がそんなに危険のものだったら、操作している作業員の皆さんがそこで仕事をしているはずがない」と強く思っていました。

それが、覆されたのですから、捏造された記事によって一時は原発に否定的な考えを持つようになりました。でも、騙した新聞より騙された自分が悪かったんだと素直に反省して、せめてもの腹いせとしてこの新聞の購読をやめました(慰安婦問題誤報も同じです)。ですから、当時のブログなどはそのままで、内容を変更したり、なかったものにはしていません。

もちろん、こんなことは自慢することではないと理解していますが、SNSでご自分の過去の発言や行動がさらされ、あわてて削除したものの、しっかり痕跡が残っている結果、強大なブーメランが後頭部に突き刺さっている方々よりはちょっとだけましかなと勝手に思っています。この傾向は自称「リベラル」の皆さんほど強く、リベラルと思い込みながら、他人にはリベラルに接することが極めて苦手な人たちこそ可哀想だなと同情してしまいます。これは地方議員30年で学んだ数少ない経験則でもあります。

また、その地方議員出身の私があまり大袈裟に言うのもおかしのですが、一連の安全保障・防衛問題では持論ではなかったものの、アーカイブしてある文章を見ると、繰り返しになりますが、恥ずかしくなってしまうこともあります。各方面との距離感を図らなければならなかったこともあり、これは仕方なかったのですが、それが必要なくなった今だから、日常生活も含めてモチベーションが安定しているのかもしれません。